5月、動画制作でお世話になっている友人が、宮崎からのお客さんを熊本に連れてきた時のこと。
宮崎と言えば最果てというイメージしかなく、ここまでさぞ大変な長旅だったでしょうと話を切り出すと、「高速道路を使ったので3時間でここまで来た」という。
3時間…
これは、下道で大分に行くよりよっぽど早いのではなかろうか?その一言で私の中に有った心の壁が一気に崩れ去った。
その夜、庭で焚火を眺めながら、何となく宮崎で釣れる代表的な魚とは何だろうかと思いを巡らし、そう言えば彼の地はヒラスズキの釣れる場所として有名である事を思い出す。
ヒラスズキと言えば、ちょっと前まで幻の魚と言われるほど釣るのが難しいとされ、どうやら釣り方が確立した今日に至っても、未だに謎が多い魚である。例えば…
「地磯からヒラスズキ釣りたいんだ、お金ならいくらでも用意できるからこの日に釣らせてよ」と言われて、果たして何人が首を縦に振るだろうか?
この魚を知り尽くすベテランならば、まずヒラスズキが地磯から釣れる条件として、必須とされる荒天前後の荒磯にタイミングよく立つ事の難しさを切々と語り、「金は要らないけど、釣れないかもしれない事だけは覚悟しておいてくれ」と念を押してから、初めて磯への案内を承知する。ヒラスズキとは、未だにそんな釣魚の一つである。
その晩は、初物のウナギを食べ、ウィスキーの酔いが回った勢いも有ったのだろう。迂闊にも軽々しく口を滑らせた。
「ちょっくらこの夏、ヒラスズキ、釣りに行ってくるわ(笑)」
SNSで気軽に挑戦を宣言してしまった。
…翌朝からが大変である。
空き時間の全てをヒラスズキ釣りの情報集めに費やした。
① まず、現場に行ける5月18日が、凪である問題
② 現場を案内できる人脈が無いから、素人でも行けそうな場所限定問題
③ 予算が限られており、シーバスタックルの流用やむなし問題
④ そして、ヒラスズキのハイシーズンはもうすぐ終わろうとしている問題
ちょっと下調べしただけでこれだけの問題に直面した。
取り敢えず買う計画が有った磯マルスズキ用のタックルを急いで揃え(後にこれでもライトすぎると判明)、衛星画像で素人でも入れそうな磯を選定し、(ほぼ、平場である鬼の洗濯岩限定の模様)ヒラスズキ関係の動画を片っ端から見て回った。
動画の様子から、この釣りの尋常ならざる現実に改めて息を呑む。
動画・ヒラスズキ・磯 で検索した動画で最初に見たのは 波に飲まれる釣り人 というタイトルだった。荒磯に立ち、しばらく竿を振っていた人が、いきなり今までの三倍ぐらいの高さの波に飲まれて海に落ちる画だった。
そしてランディング。これも基本、ゴボウ抜きであるらしかった…
ハードすぎる現実にタジタジとなったがもう遅い。ノンアルコールビールを引っ掛け、酔っぱらった気になった勢いで宮崎を目指した。
ポイントと思わしき場所(カーナビが無いので割と適当)の近くにキャンプを張る。潮騒だけが聞こえ、海の様子は全く見えない。
暗い内に動いても何も良い事はなさそうだ。取り敢えずこの夜は、天の川と蛍の瞬きを伴にして酒を飲み、早寝した。
翌朝5時、やはり、海は凪いでいる。件の洗濯岩まで移動してみたが、さっぱり波立っていなかった。波打ち際に出来るサラシと呼ばれる白泡を狙うヒラスズキ釣りにとって、この上もなく厳しい条件である。(素人には安全面で優しいが)
取り敢えず、最初のキャンプ地、確かサンメッセ入り口近くか?昨夜盛んに波の音がしていたから、ある程度マシであろうと思ってここに入る。足場も良い。俄か磯師にはこれぐらいが丁度よかろう。
ルアーは自作のシンキングミノー、NJN90s。
リバーシーバス用ルアーなので、飛距離の点で限りなく不安だが、磯際のサラシ以外に狙い目の無いこの朝にはむしろ最良の選択だったかもしれない。
燦燦と輝く朝日を受け(真の朝マズメはとうに過ぎている)心もとない装備でルアーを海面に投じた。
ヒラスズキは居ない所にはきれいさっぱり居ないものらしくて、釣り方は回遊待ちでなく、基本的にランガンであるという。岩の間に波が穿った亀裂一本一本にルアーを通してゆく。
やがて、少し大きな岩の亀裂に差し掛かる。
ちょっと大袈裟に言えばワンドと言えなくもない。そして、この亀裂周りでルアーを引くと、ピンピンと威勢よく何かの稚魚が跳んだ。「居るならここか…」
角度を変えながら慎重にその場所を探ってゆくとピックアップ間際に コン! とロッドティップを叩く明確なアタリと、三角形の鼻先が見えた。
「居たぞ!」
ワンド状地形入口と波打ち際のサラシが重なる所にルアーが通るよう更に慎重に一投。
ルアーがサラシの下に隠れる…
コン!
またあのアタリが来た。
ロッドを立てると、確かに魚の生命感がラインを引き、ロッドが深くしなった。
急いでゴリ巻きし、魚をこっちに向かせる。手早く獲らなければ主導権を奪われるかもしれない。リーダー8号の強度を信じて一気に抜き上げた。
岩の上に魚体を横たえる。
全長にして40cmぐらいだろうか?ヒラスズキとしてはおチビさんである。しかし、一匹は一匹である。素人が出来る範囲でやって釣れたんだから、これはむしろ大成功と言えるのではないだろうか。
始めて釣れたヒラスズキ(サイズ的にはヒラフッコか)は白銀に輝き、その顔には早くも鬼岩の荒磯を支配する王者の風格が垣間見られた。
その場で絞めて胃の内容物を見ると、シラスやキビナゴが入っていた。当日はマイクロベイトパターンであったようだ。
その後、しばらく粘ったが、全くアタリ無し。ヒラスズキのカルパッチョとイカ墨スパゲッティで昼食にし、午後に備える。
午後には鬼の洗濯岩にも波が立ち、いかにも釣れそうな雰囲気。しかし、ここでもアタリは無かった。
やはり、ヒラスズキは幻なのである。狙うのが困難であればあるほど、白銀の魚体に出会えた喜びは大きくなるのだろう。
日南海岸に日は沈む。鬼岩の荒磯を支配するヒラスズキ達も眠りにつくのだろうか。宮崎の海が恵んでくれたささやかな幸運に大いに感謝し、引き上げる事にしよう。
近くのオートキャンプ場に入り、宴の準備。
兜焼き、刺身、アラと地元で買った貝のみそ汁でヒラスズキを味わい尽す。
宮崎の地酒 初御代 で上品な脂が乗った刺身を流し込めば、磯を歩き回った疲労も静かに溶けてゆく。
その夜はサザエ壺焼きなども交え、ささやかな勝利を祝う酒宴をたった一人で続けた。
また幻に出会える日を夢見て、今宵は乾杯。