浮靴沢奇談 鉄砲水【第3話 河原にて】

釣りの小説 鉄砲水 第3話

浮靴沢奇談 鉄砲水

【第3話 河原にて】

 前回からの続きです。
【第1話 隣の谷】はコチラ。>>
【第2話 浮靴沢】はコチラ。>>

 翌日も曇り空だった。夜中に雨が降ったのだろう、所どころには、水たまりが見られた。

 例の話が全く気にならなかったかというと嘘になる。
 河川の上流で雨が降り、土砂崩れでダムのように堰き止められた大量の水が、その崩壊と同時に一気に押し寄せて来ることがあるというのは有名な話で、枯れ葉が大量に流れて来たり、急に水が濁り始めたりといった現象は、注意すべき鉄砲水の予兆として、渓流釣りをする者の間では、広く知られるところだ。

 この辺りの土地は、地盤があんがい緩いのかもしれないし、河原の少ない川だということは、ひとたび水が出れば一気に嵩(かさ)が増してくるということは確かにあることかもしれない。
 この川に鉄砲水にまつわる『いわく』が付いている以上、とりあえず用心するに越したことはないだろう。そう思った。

 昨日、ようやく聞き出すことのできた、その橋の袂付近に車一台が駐車できるほどのスペースを見つけて、ウエーディングシューズの靴紐を結ぶ。

 河原に降りると、今度は、またこれまでとは少し違ったような違和感があった。
 タバコに火をつけて「何だろうか?」と考えてはみたが、釣り場を前に、気持ちが高揚していたのか、この時は気づくことができなかった。

 川風に乗ってタバコの煙が川下へと流されて行った。
 どうやら天気は下り坂かもしれない。どんどん歩いて探ろうと決めた。

「まいったナ。釣れるどころか、魚の影すら見えないじゃないか。」
 しばらく集中して釣り上がっては来たものの、こんなハズではないとばかりに、ついに独り言が漏れて出た。
 それでも、ここらあたりでルアーでもチェンジしてみようかと立ち止まり、“プツリ!” と釣り糸にハサミを入れた時のことだった。

 ようやく、河原におりた時に感じた違和感が何によるものだったのかに気付く。

 今度は、赤色のスピナーを手に取っていた。
 要するに水深が浅いのだ。そういう川なのだ。
 先ほどから小さく軽めのルアーしか使用していなかった。

 それに、ここまで随分と歩いた。ということ。
 それこそ、どんどんと歩いていたのだ。浮き気味のゴロタ石で確かに歩きづらいものの、ちゃんと『河原』を歩いて来たのだ。
 上流への遡行は難儀するのではなかったか?

「こうなると、いよいよ、これは金歯のでっち上げだナ。」と思った。
「まさか、本当に翡翠でも転がっていたりしてね。」
 タバコの箱に手が伸び、煙がまた川下へと流れた。

 どうせ釣れないのなら、と、しばらく辺りをきょろきょろと見渡しながら上流を目指して歩いてみた後で、とうとう、切られたままとなっていた釣り糸の先端に、すこし重めのスプーンが結ばれることとなった。

 この淵が、例の淵であることは、誰にでもわかる。今日、これまでのこの川の状況からは、まったく想像できないほどの、大きく、迫力のある淵が、そこにはあった。
 両岸は切り立ち、遠目には少し落差のある細い滝が見える。

 この淵の出現がもう少し先のことであったのなら、今日のこの川の状況が物語る本当の意味を、もっと冷静に考えてみることもあったかもしれない。
 でも、目前の淵のあまりの迫力が、豊かな水の流れが多くの渓魚を育む、昨日、谷の上から見下ろした際のそんな素晴らしいこの川のイメージと見事なまでにリンクして、今、刻々と忍び寄る異常事態、つまり、昨日より水のない川へと変貌しているというその事実を、見事なまでに覆い隠していた。

「よし!」
 ここなら釣れるぞとばかりに発せられた大声に驚いたか、渕尻の梢で羽を休めていたであろう一羽のカワセミが、勢いよく飛び立って行くのが見えた。

 こうして、僕の中で『金歯のでっち上げ』は確定し、すこし重めのスプーンは、淵の中へと放り込まれたのだ。

(even)
【第4話 靴の淵】へ続く。>>

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