怪談:釣り一頁 【対岸の釣り人】

釣りの怪談

釣り一頁 【対岸の釣り人】

 

1

 私のバス釣り仲間が山間部の野池で大怪我をした。『今週末に計画していた釣りには行けそうにない』との連絡を受けてそれを知り、私は仕事帰りに、彼の入院する病院へ見舞いに行った。

「いやぁ、この歳でさ、遊びで怪我して、しかもレスキュー隊の世話になったんだ。恥ずかしいったらなかったよ」
 そんな風に笑った彼は、右手右足を厚いギプスで固定してはいたけれど、まずまず元気そうだった。聞けば崖から落ちたらしく、打撲と骨折だけで済んだのは不幸中の幸いだったそうだ。

「まったく、君って奴は、どうして崖なんかに近づいたんだ……」
 呆れ顔でそう言った私に、彼は恥ずかしそうに頭を掻いた。

「長い山道を歩いて、やっと辿り着いた野池だってのに、夕マヅメになっても一向にバイトが出ないもんだからさ……気がはやっていたんだよな。そんな時に、対岸の人が良く釣るんだよ。悔しいやら羨ましいやらで、よし、俺も対岸へ行って釣ってやろうって気になったんだ。でも、どうしても道が見つからなかった。気が付いたら辺りも真っ暗になっちまって、それで――」

 どうしても釣れない時、魚に触りたい一心で手当たり次第にルアーやポイントを変えてみたり、無理矢理遠投してみたり、闇雲に粘ってみたり――何かしらで意地を張ってしまうのは釣り人の性かもしれない。しかし、焦れば焦るほど不要なトラブルは発生するものである。

 今回の彼の場合だと、日没を忘れて山中に足を踏み入れていたが為に、崖から落ちてしまったというのが事の顛末。
まったく、時間を忘れるなんて子供みたいだ、と私は思った。

釣り一頁

 

2

 なにも説教をしに彼を見舞ったわけではないので、怪我の経緯を聞いた後、私達はいつもの釣り談義に花を咲かせた。そして、聞かされた例の山間部の野池の雰囲気がとても良さそうだったので、その週末、私は一人でそこを訪れた。

 池の堰堤に立ってみると、確かに彼の言っていたとおり、いかにも釣れそうな雰囲気である。左右はオーバーハングとレイダウンの絡み合う好スポットだし、流れ出し付近には流木や植物が絡み合うマットカバーが形成されていた。
 そして何より、週末にもかかわらず釣り人は私一人だったのだ。山道を歩かなければ辿り着けない場所なだけに、ゴミも少ないし、プレッシャーは極端に少なそうだった。

 しかし――

 打てども巻けども、釣れる気配はなかった。
 次第に辺りは夕暮れの色彩に染まり始め、嗚呼、今日はボウズのまま納竿かと、私は気落ちしながら撤収を考え始めた。そんな折である――

釣り一頁

 私の目に、水面を叩く魚が映った。見れば対岸の流れ込み付近に釣り人が一人立っていて、良型のバスを掛けている。

 いつからそこにいたのだろう? 不思議に思ったが、そこで、私は病院で聞いた友人の言い訳を思い出した。
(ははぁ…さてはあれを見て、対岸へ行こうなんて思ったんだな)
 同じ轍を踏むなんてあり得ない。でも、どうやら確かに、対岸は良いポイントらしい。
(日を改めてあそこを狙ってみようか……)
 そう考えた私は煙草を吹かしながら、しばらく対岸の釣り人を眺めることにした。どんな釣り方をしているのか気になってのことである。

 対岸のその人は黒のゴム長靴を履き、大きな麦藁帽子を被っている。そしてやけに古めかしい、往年のヘラ師のようなベストを着ていた。夕暮れ時の和らいだ景色の中で、顔の輪郭はハッキリとしない。短めのロッドにスピニングリールでミノーを巻いているらしかった。

 その人はほんの数分の間に三匹もの良型を仕留め、私は瞠目し、是非あのポイントで自分もミノーを巻いてみたいと思った。昨日は酒の肴にしてやると馬鹿にしていたけれど、少々無理をしてでも、対岸を目指そうとした友人の気持ちが理解できた気がした。
(あんな釣れっぷりを見せられちゃなぁ……)

 しかしそんな気持ちも、やがては気味悪さに塗り替えられていった――何度も良型を釣り上げるその絵が、同じ映像を繰り返し見せられているように思えたからだ。
 掛けたバスが同じファイトをし、同じ竿捌きによってネットへ吸い込まれていく。その人の釣果が二桁に近づくにつれ、それは確信へと変わっていった。
(なんだ? 何かが変だ…)

 そして激しくなる違和感の正体に気が付いたとき、私は一刻も早くこの場を立ち去らねばならないと感じたのだ。
(なぜ…どうして、まるで音が聞こえないんだ――)
 対岸の釣り人は、一切音を立てていなかった。掛けた魚が水面を叩く音も、ファイトを知らせるようなドラグ音も、その一切が、ヒグラシさえ鳴くのをやめた静かな野池に、響かないなんてことがあるだろうか?
(き、気持ち悪い……)

 何かが腐るような激しい悪臭が、対岸から風に乗ってこちらに流れてくるような気がした。
 私は逃げるように堰堤を降り、自分の車を目指して山道を走り始めた。

『ねぇ、釣り、しないの?』

 山道を下る途中、低い男の声が、私の耳元で囁いた。

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3

 次の週末も、私は同じ野池を訪れていた。
今度は日の高い日中に足を運び、どうにか対岸へ回れる道を探そうと思ったのである。

 先週の体験は忘れたいほど気味の悪いものではあったが、実は気のせいで、あの釣り人も山道に詳しい地元住民ではないかと、そんな期待があった。きっとどこかで、そうであってほしいと、願ったがゆえの再訪だったかもしれない。しかし――

 堰堤から左に回れば急勾配な斜面を樹木が覆い、右に回れば友人の落ちた崖が迫って危険極まりない。ボートやフローターも到底、現実的な感じではなかったし、反対側から山を登れないかとも考えたが、そんな道は存在していなかった。

 では、あの釣り人は、一体……。

 私は、この世ならざる景色を見ていたのかもしれない――そう思うと男の声が再び聞こえてくるようで、私は身震いした。(了)

 

(あとがき)

このお話はフィクションです――。夜釣りをされる皆様、足元には十分に気を付けて下さいね。
時には魚を追い求める情熱が事故の原因になってしまうこともあるようですので……。釣りは安全第一で楽しみたいですね。

 

この記事の著者

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ペンネーム:柿川清修

 趣味で小説や記事を書いている釣り好きです!新潟県在住ですが相模湖や津久井湖等、関東のメジャーリザーバーを愛しています(笑)
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 Twitter→柿川清修@say_syuu

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